読書感想 -『アルジャーノンに花束を』
読もうと思ったきっかけ
読むきっかけは別の小説だった。
何か素朴な恋愛小説を読みたいなと、図書館で文庫本の背表紙を眺めていた時に目にとまったのが『ぼくは愛を証明しようと思う。』だった。
ぼくは愛を証明しようと思う。(藤沢数希)
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ベストセラーだったらしいけど、私は全然知らなくて、( ´-` ) 。oO(恋愛小説かなぁ)と思いながら、前情報なくなんとなく借りてみたら・・・あらびっくり。
ガチガチのモテ教本だったのです。
えげつない女の落とし方に、めちゃくちゃ共感した。
ただヤルだけじゃなく、人と仲良くする方法 だと思う。
人と仲良くなるためには「奉仕」が必要で、でも一方的な奉仕は孤独に繋がる。
『凪のお暇』という漫画に「ゴンさん」ってキャラが出てくるが、彼が無意識に、時には意識的に行っている他者への接し方がまさにそう。
凪のお暇(コナリミサト)
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『ぼくは愛を証明しようと思う。』の主人公は非モテ男子として描かれ、一人寂しい休日にカフェで『アルジャーノンに花束を』を読んでいる描写がある。
文中で簡単なあらすじが紹介され、物語の重要なピースとして終盤にも再度引用され、幸せとは何かを問いかける結末になっている。
ヒロインが主人公に言った「チャーリィにはならないよ」がどういう意味なのかが気になり、『アルジャーノンに花束を』を読んでみることにした。
アルジャーノンに花束を(ダニエル・キイス)
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ネタバレあり感想
1) コンマの感動
名作は裏切らない。すごいものを読んでしまったという感動がある!
知能が上がるとわかっていたので、序盤の読みづらい文章も耐えられた。
慣れてきた頃に来た「コンマの革命」は、そのまま人類史を追っているような感動・・・!
記号を発明した人類すげぇと。その後、いつの間にか「である調」になっているのに気づいた時は鳥肌がたった。
学会からの逃避行のシーンがかなり好き。
この物語はそのまま「人の一生」に例えられると思う。
何も知らない「幼少期」から、いろんなことを学び人間関係で失敗する「学生時代」を経て、自分のやりたいことを探しに行く「青年時代」がまさにあの逃避行シーンだ。
そして妥協を覚えつつも自己顕示欲が増大する「壮年期」、認知症やボケが進行して退行していく「老年期」で終わる。
老年期は単に幼少期に戻っている訳ではない。
何も知らないのではなく、できないだけ。
2) 認知の歪み
一人称視点で進むため、人々に対する認知の歪みもわかりやすく感じる。
博士や教授に勝手に失望したり、ノーマが憎かったのに話してみたらそんなことなかったり。実際にはその人の事情があるのに、勝手に思い込んでいることは多い。
終盤でチャーリィがパン屋に迎え入れられた時は思わず泣いてしまった。
読者としては、パン屋の連中は嫌なやつばかりで自分のことしか考えていないんだろうと思ってしまっていたので、彼らにも「同じ職場で働く仲間として助け合おう」という優しさがあったことにハッとした。
自分より下の人間がいることで安心したいという見下した気持ちがあったとしても、本音と建前。
建前を気取ってもいいじゃないか。
3) 最後の一文の意味
「アルジャーノン」とはネズミの名前でもあり、「知能を持ったあとにチャーリィの身体を動かしていた人格」のことも指していると思う。
いろんなことを忘れてしまった後に残った「チャーリィ」は、手術前の「チャーリィ」と同一人格のよう。
そのチャーリィは、過去を思い出すこともなく、未来を考えることもない。「今」しかないチャーリィだが、喪失感だけは永遠に感じていく。
チャーリィの過去・未来・今(チャーリィの一生)を繋げて考えられていた「彼」は消滅してしまった。
その「彼」が、アルジャーノンと同じように存在していたこと、そして「彼」は死んでしまったということを、暗示的に示した描写なのでは、と思った。
ネズミのアルジャーノンについて、考えてみる。
チャーリィとの逃避行の際に、言葉が通じているような描写がある。
天才的なネズミとはどういう状態なのか、想像は難しいが、例えばカラスは5歳児くらいの知能があると言われることがある。
5歳といえば、自我が芽生え、何が良くて何が悪いか、何がしたくて何がしたくないかを自分で考えて行動するようになる。
「○○をすると○○になる」という因果関係の理解や記憶力も備わっている。他者の言葉を理解し、会話ができるようになる。
ネズミのアルジャーノンに感情移入してみよう。
「人間が話すこと」を難しい専門用語以外は理解できていたとする。
しかし、自分の意志を伝えることはできない。
どうにか意志を伝えようとして、おかしい行動をとっていたのではないか。
知能が高かったチャーリィが、元のチャーリィのために自殺を思いとどまる描写があるが、アルジャーノンの無気力の後の死は、彼による尊厳死だったのではないか。
まとめ
『ぼくは愛を証明しようと思う。』の「チャーリィにはならないよ」とはどういうことか。
チャーリィは知能を得て、人間関係全てがうまくいかなくなり、アルジャーノンと二人きりになり、アルジャーノンも死んでしまう。
しかし、知能の退行が始まった時には、アリスや博士が寄り添ってくれた。パン屋のみんなも迎え入れてくれた。
チャーリィみたいに全てに別れを告げて施設に行くことはないということだろうか。それともチャーリィみたいに天才になっても孤独にはならない(=私がいるよ)ということだろうか。
・・・難しい。機会があればまた読み返してみたい。
『ぼくは愛を証明しようと思う。』がかなり面白かったので、より理解を深めるために『アルジャーノンに花束を』を読んでみた訳ですが、謎が深まってしまいました。
幸せとは何か。
孤独にならず、人に敬意を持って接し、
その対価として愛してもらうこと、かな。